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 きのうの日記のつづき……「花と自然と人間」ということで私が直ちに思い出したのは、先週、渋谷文化村のミュージアムで見た、ジョン・エヴァレット・ミレイ展での「オフィーリア」(1852)という絵です。

オフェーリア


 夏目漱石が「草枕」でも取り上げた有名な絵です。漱石がイギリスにいたのは1976~87年なので、漱石がこの絵を見たタイミングというのは、今の私たちの感覚でいえば、1980年代終わりに描かれた現代美術を見たって感じなのでしょうか。

 展覧会場では、この絵についての解説のビデオが流されており、それを見てて私が驚いたのがつぎの2点。

 まず、西洋画ではふつう、風景と人物がからんだ絵では、人物を先に描いて風景はそのあとに描くのですが(これは今のマンガでも同様かも)、この絵では、まずミレイが実際の風景をロケして描き、そのあとからオフェーリアを描きこんでいます。
 そのためこの絵には、「背景」というよりも、生きたままの150年前のイギリスの自然がカンバスに写しとられ、葉や枝や水草がかすかに動いているような錯覚に襲われます。

 もう一つ驚いたのは、ミレイがこの絵に「花言葉」を託していること。私は花言葉の一つも知らないような無風流な人間なのですが、この絵に描きこまれた花言葉は:

【画面上方、川の向こう側】
*柳=見すてられた愛、愛の悲しみ
*野ばら=喜びと苦悩
*ミソハギ(右端)…純真な愛情、愛の悲しみ

【オフィーリアの周り】
*スミレ=誠実さ、純潔さ、貞節、若き死
*ケシ=死
*パンジー=かなわぬ愛、物思い
*ナデシコ科の花=悲しみ
*ヒナギク=無邪気さ
*バラ=オフィーリアの兄が「五月のバラ」と呼んで彼女の死を悼んだ

【画面下方、川のこちら側】
*忘れな草=私を忘れないで
*キンポウゲ科の花=子供らしさ

 むーーすごい! 何がすごいかというと、これだけの花言葉を、ロケして描いた画面にまったく破綻をきたさずに、美しく(ココが大事なんです!)取り込んでいるのです。いわば、実際の風景よりもっと美しいアレンジメント

 ミレイの「オフェーリア」はまるで、野の小川全体を使った生け花作品(フラワーアレンジメント)のようです。
 昨日書いた「花鳥風月」のシンポジウムで、池坊由紀先生は、生け花を見た人が「きれいな花ですね」と言ってくれるのは必ずしも嬉しいことではなく、花がきれいなのは当たり前であって、その花を立てた人の思いに触れ、それを味わってほしいというようなお話をされていました。

 ミレイが描いた150年前の花も、モデルのエリザベス・シッダル嬢(バスタブにつかりっ放しで頑張り、カゼを引いたそうです)もすでにこの世にはいませんが、絵の中では小川はずっと流れ続け、花はずっと咲き続けています。

 人間は世界をダメにするのでなく美しくするために地球上に生まれた、ということを、私はいろんな絵を見るたびに信じたくなります。

 あ! オフィーリアがそもそも誰なのかを書くのを忘れちゃいましたが、それはまあそれとして……。
 
 おまけ:きょう、イギリス帰りの知人からいただいた、シェイクスピアのボールペン。ナイスタイミング!(バックの絵はミレイの絵じゃなくて、フランツ・フォン・シュトゥックの「春」という絵です。お花つながりということで……)


シェクスピア





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2008.09.18 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
 9/15は、「第15回KOSMOSフォーラム:花・緑と人~人はなぜ花や緑を求めるのか~」というフォーラムに行ってきました。

 これは、以前から書きおろしの本をお願いしている、京都造形芸術大学教授の原田憲一先生からのお誘いによるもの。

 原田先生のお話は、「花鳥風月の地球史」というものでした。

 先生によれば、地球史46億年の観点からみると、面白いことに「花鳥風月」の成り立ちはこのコトバとは順序が逆で、「月・風・鳥・花」なんだそうです。

 地球に隕石がぶつかってその破片が集まって月になり、地球に大気ができて風が吹くようになり、恐竜が小さくなって鳥になり、樹木ばかりだった地球の植生に花が咲くようになる。
(地上でさいしょの花って、モクレン系の花だったそうです。モクレンが咲く野を歩く恐竜……)

 そして、その花を美しいと愛でて(そういう脳と眼のハタラキができて)、生け花を立てたり庭園をつくるようになったのが人間。

 地球は灼熱のガス状の塊だった時からみると、花々あり山河あり森林ありでどんどん美しくなっていった。その最後に人間が出てきて、花を使った芸術を楽しんだり、あるいは死者の魂や神仏に花を献げるようになる……。

 池坊次期家元の池坊由紀先生がそのあと話されましたが、人間は花を「自分の心にもっとも近いもの」と感じるからこそ、願いをこめて花を立てる(供華)のだといいます。

 美を感じるのは人間だけの本性であり、サバイバルとは無関係に、内からの促しで、「損得ぬき」で芸術行為を行うのは生物界の中でも人間だけ。

 せっかく46億年かけて綺麗になった地球の美を堪能できている人間が「損得ずく」のきわまった自然破壊をやっているというのは、人間の本性とは合わないことなんでしょうね。

 池坊由紀先生がおっしゃった、「日本人にとって『自然な』という言葉には『よい』という意味があり、『不自然な』には『よくない』という意味がある」というお話が印象深かったです。

 西洋が環境心理学とかで言い始めたことが、日本ではとうの昔にフツーに意識化されてたんですね。
 
 日に日に涼しくなり、秋らしくなってきたことでもあるし! 私も「花鳥風月」系で行きたいものだと思いました。

2008.09.17 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲